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せっかく行く海外旅行のために

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罪のない数百万人が虐殺された、世界遺産アウシュビッツ強制収容所とビルケナウ強制収容所を見学します!

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クラクフから車で70分ぐらいで、オシビエンチムへ到着です。アウシュビッツとは、ポーランド語のオシビエンチムをドイツ語読みしたものだ。バスを降りて受付を済ますと写真のような入口があります。まず、荷物チェックをします。

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収容所の地図があります。本日はポーンラド人の日本語のツアーガイドが説明をしてくれます。

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歴史的な事実を知らなくても、何となく物寂しい感じがします。

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周囲を囲む二重の柵は高さ4m。6000ボルトの電流が流れる有刺鉄線が張り巡らされています。

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入口には、「ARBEIT MACHI FREI;働けば自由になれる」のウソの標語が残っています。「B」が上下逆なのは、看板を作った被収容者の抵抗の印と言われています。

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14~27号ブロックは、一般の方の立ち入りはできないようです。被収容者の母国に関する展示が行われているそうです。

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このオシビエンチムの地理的(ヨーロッパのへそ)な理由で、収容所が作られたようです。

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子供が不安になり、騒がないように、母親と一緒に行動させたそうです。このやり口が、人としてどうかと思う。

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この資料だったか、記憶は定かではないですが、列車で到着すると、ほとんどの人がガス室に送られたようです。それなのに、荷物などの預かり証みたいなものを発行して、安心させ、これから働けば、ここから出られるような希望を与え、ガス室へ送ったようです。むご過ぎる。

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仮に脱獄しても、大きな川に囲まれた場所で、牢獄を作るのに最適な場所だったようです。

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精巧に作られたガス室の模型です。まさに殺りく工場です。まず、消毒のためのシャワーを浴びるとの説明があったそうです。

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第4ブロックで見つかった毒ガス「チクロンB」の缶です。シャワー室(ガス室)に閉じ込めて、天井より投げ入れたらしいです。青酸ガスが発生し、20分ぐらいで亡くなるようです。

*デゲッシュ社にはアウシュヴィッツ収容所などへの納品書が残っており、アウシュヴィッツには20トンのチクロンBが納入されている。これが戦後の裁判の証拠となったようです。
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第5ブロックには、被収容者から没収した日用品が展示されています。これから新しい生活をするために使う鍋などです。

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名前や住所を書かせたトランクです。永遠に持ち主へ戻ることのないものです。これも安心させるために、取られた手段です。

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おびただしい数の靴です。

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新しく連れて来られた被収容者は3ポーズの写真を撮られ、

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認識番号の刺青を入れたそうです。

これも収容所ができて間もない頃だけだったようです。当初はポーランド人の政治犯とかを収容していたようですが、次第にユダヤ人を収容し、殺人工場へなっていった。殺戮が間に合わないため、徐々に省略されたそうです。

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1945年1月、ソ連軍によって、救出された子供たちの写真です。このような縦縞の服を着せられ、番号で呼ばれていたそうです。子供たち、特に双子などには、人体実験を行っていたそうです。

子供や赤ちゃん、そして老人は強制労働には向かないので、ほぼガス室送りだったようです。そして全体の75%の人はガス室送りだったそうです。

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7号ブロックでは、3段組みの粗末なベットなどの被収容者の部屋を再現しています。

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政治犯は形式だけの裁判を行い、

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有罪となった者は、「死の壁」へ連行され、銃殺されたそうです。

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見せしめのために使われた、絞首台(復元されたもの)です。

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そして最後に見学したのが、ガス室と焼却炉です。

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焼却炉はかつて3台あったらしいのですが、2台しか残されていないそうです。焼却炉は後にガス室となったそうです。ただし、ナチスドイツ軍が撤退する時に、証拠隠滅を図ったため、いくつのガス室や焼却炉があったかは不明なようです。

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ガス室の入口前にある絞首台で、1947年4月16日、アウシュビッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスの処刑が行われたそうです。ユダヤ人からすれば、当然と言えば当然、憎しみは消えないので仕方ないことかもしれません。何度殺しても殺しきれいない罪かもしれません。でも、戦後にそんなむごいことが行われたんです。

ここから2kmぐらいのところにあるビルケナウ(ポーランド名ブジェジンカ)へ向います。オシエンチムでは収容できなくなり、1941年から建設が開始された一大殺戮工場です。こちらはユダヤ人絶滅のために作ったそうです。

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バスで駐車場に到着し、目の前の平原に、それらしい建物が見えます。

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収容所には鉄道によって、物のように運び込まれた。物悲しくなる風景です。線路が残されいます。

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「死の門」をくぐって、中に入ると

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鉄道の引き込み線がまっすぐ敷地内につながっています。それにしても膨大な敷地です。

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点々と木造のバラックが建っています。当時300棟ぐらいあったそうです。

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人々は横向きに寝るしかなかったそうです。一つのベットに9名も押し込まれたこともあるようです。一様暖房設備はあったですが、使っていたかは不明。ポーランドの冬を考えれば、想像を絶する寒さのはずです。

一部のツアーでは、アウシュビッツの見学を選択性にしており、希望者のみを見学させる措置を取っています。それはあまりにもむご過ぎるので、これを見学すると一時的に精神的におかしくなるからでしょうか。

訪問する前には、気持ち悪くなるのではないかと思っていました。正直それは起こりませんでした。確かに150万人(実際の数は不明で、300万人とも言われています)もの人を殺したことは考えられない。あってはならないことです。しかし、戦後、世界中から戦争は無くならず、インターネットの発達によって、リアルタイムで酷いニュースが届けられるから、変な意味で慣れているのかもしれません。

そして加害者と被害者の立場では、事実の受け止め方は違うはずです。現ドイツ人が行ったことではないですが、現ユダヤ人のドイツ人に対する憎しみは消えないのではないのか?そんな風に私には思える。私は人として未熟ななのかとさえ思える。

そんなつまららない心配を乗り越えて、戦後ポーランドも復興し、ドイツを中心としたEUは大きくなっている(経済的にかもしれませんが)。ドイツは二度と過ちは起こさないはずだ。日本も二度と過ちを犯してはいけない。

ここを見学すべき者は、大国のリーダーではないでしょうか。(2018年9月7日)
































by sekkaku | 2018-10-04 21:55 | ポーランド | Comments(0)
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